クラウンカレッジ・ジャパン30周年

時は1990年、大阪で開催された『国際花と緑の博覧会』、通称〝花博90〟の中で200万人を超す入場者で賑わったパビリオン〝フローラドーム(郵政省・NTT・KDD共同館)〟にコンパニオンに代わる案内役として、毎日20人以上のクラウンがお客様をエスコートしました。ウェイティング・スペースでのミート&グリートやパフォーマンス、プレステージでのクラウンショーなどのほか、お客様と一緒に記念写真を撮ったりと、様々な場面でお客様を楽しませていました。皇太子殿下(現・天皇陛下)が視察に来られた時にも並んでお出迎えをしました。

楽しさと優しさ溢れるおもてなしこそクラウンの得意分野です。

この時に出演していたクラウンたちこそが、クラウンカレッジ・ジャパン第1期と第2期卒業生でした。

2018年には日本でも映画『グレイテスト・ショーマン(“The Greatest Showman”20世紀フォックス映画/2017年アメリカ)』が大ヒットしました。

主人公はヒュー・ジャックマン演じるP.T.バーナム(Phineas Taylor Barnum)という興行師。バーナムが見世物小屋から興行師として名声を馳せるようになり、紆余曲折を経てサーカスを興す物語です。この「地上最大のショー」と謳ったサーカスこそがのちのリングリング・サーカスです。日本では略されてリングリング・サーカス、またはリングリング・ブラザーズと呼ばれていますが、正式名称はリングリングブラザーズ・アンド・バーナム&ベイリー・サーカス(Ringling bros. and Barnum & Bailey Circus)です。映画の最後に登場したバーナムのサーカスがベイリー・サーカスと合併して当時最大規模を誇るバーナム&ベイリー・サーカスになり、さらに後年、リングリング兄弟の大サーカスと合併してゆく流れの中で、名称に歴代オーナーの名前が付け足されるのが慣習になっていたのですが、まるで寿限無のように長くなってしまうので、その後のアーヴィン・フェルドとケネス・フェルド父子がオーナーになった時にはもう名前を付け足しませんでした。

そんな地上最大のショーと言われたリングリングブラザーズ・アンド・バーナム&ベイリー・サーカスですが、残念ながら2017年5月21日、ニューヨークのナッソー・ベテランズ・メモリアル・コロシアムで行われた公演を最後に解散してしまいました。

映画『グレイテスト・ショーマン』では創設者P.T.バーナムのこんな言葉がエンドロールに掲げられています。

「真に崇高な芸術とは、人々を幸せにするものだ」

さて、解散するまで150年の歴史を持つリングリングブラザーズ・アンド・バーナム&ベイリー・サーカス(以下:リングリングサーカス)ですが、1968年米フロリダ州ベニスに、クラウンという古代からの伝統芸術をサーカスで永続させることに特化した養成機関であるクラウンカレッジを創立しました。創立20周年にあたる1988年までに1000人を超える卒業生を送り出し、卒業生たちはリングリング・サーカスを始め、ブロードウェイやラスベガスなどサーカスにとどまらない活躍をくり広げてゆきました。

そして創立20周年ではあのディック・ヴァン・ダイック氏が名誉学長に就任するなど、とても華々しい記念的なことが数ありましたが、そのうちのひとつが、クラウンカレッジの日本校の開設だったのです。

時は1989年のこと、株式会社ナチュラルグループ本社と三菱商事株式会社、TSP太陽株式会社との合弁会社であるクラウンカレッジ・ジャパンが設立されました。代表取締役社長は下郡山祥二、取締役員には鈴木文雄氏や矢追純一氏の名前もありました。

1989年ということは平成元年、つまり前年に昭和天皇が崩御されたということですが、時代はバブル最盛期のこと、日本全国に第三セクター方式のテーマパークが乱立し、市政100周年を迎えた各都市では様々な博覧会が華々しく開催されていたのです。そんな時代にリングリング・サーカスと株式会社クラウンカレッジ・ジャパンが提携して、フロリダにあるクラウンカレッジの姉妹校という位置付けで東京の南大井に日本初のクラウン養成学校クラウンカレッジ・ジャパンは創立されました。講師陣はリングリング・サーカスから派遣されてきた現役パフォーマーたちで、授業は英語で行われました。

冒頭で紹介した花博のパビリオン、フローラドームの様子はまさにそんな時代にデビューしたクラウンカレッジ・ジャパン第1期と第2期卒業生の晴れの姿だったのです。

続く1991年には第3期卒業生がデビューしました。しかし一年後にはバブル景気が崩壊し、クラウンカレッジ・ジャパンは4期生の募集を行わないままリングリング・サーカスとの提携を解消し、株式会社クラウンカレッジ・ジャパンも売却されてしまい、フロリダ本校とは違ってクラウンカレッジ・ジャパンはその短い歴史の扉を閉じてしまいました。

クラウンカレッジ・ジャパンの校舎は株式会社ナチュラルグループ本社の持ち物でしたが更地になり、現在は国道15号からしながわ水族館をつなぐプロムナードになっています。

時は流れて2009年、クラウンカレッジ・ジャパン卒業生たちがクラウンとして再集結しました。そして開港150年で賑わう横浜で開催された『ヨコハマ大道芸2009』のステージをお借りして、クラウンカレッジ・ジャパン20周年を記念した一回限りのショーを行いました。

時代は変わり、イベントのパフォーマンスは大道芸が主流になっている昨今で、クラウンが30人も出演するショーはとても華やかで珍しく、事前告知なしでショーをしたにも関わらず一気に人だかりができました。集まったお客様は、同じ時間に赤レンガで行われていたラ・マシーンよりも多かったという噂もあります。ご覧になったお客様からは夢のような時間だったという感想もいただきました。

クラウンカレッジ・ジャパンがなくなってからの20年弱の間、卒業生たちは他のジャンルのパフォーマンスや芸人に転向したり、就職したりなど様々ですが、イベント業界においても大道芸ワールドカップin静岡やヨコハマ大道芸といったイベントの下支え的な存在でした。ずっとひたむきにクラウンを続けてきた卒業生もいますが、クラウンから遠ざかってしまった卒業生、クラウンをやめてしまった卒業生もいます。しかし、20周年記念のショーではそんな卒業生たちも再びクラウンに戻って一緒に出演しました。中には「まさかあの芸人さんがクラウンだったとは!」という人もいます。

記念のショーですが、20周年と言いながらもクラウンカレッジ・ジャパンはすでに存在してませんので、いわばこれは卒業生たちの思いの集結でした。ややもすると自己満足で終わりかねないので、敢えて事前告知もしなかったのです。しかしそれが却って、人々を楽しませたいというストレートな気持ちがショーに溢れて、結果的に大好評になりました。

「真に崇高な芸術とは、人々を幸せにするものだ」という創設者バーナムの言葉を実現したようなショーだったのかもしれません。

20周年のショーからまたさらに時が流れました。2019年は存在しないながらもクラウンカレッジ・ジャパン30周年になりました。そこで卒業生たちから再び記念のイベントの発案が出てきました。まさに20周年の時に浮かび上がった「真に崇高な芸術とは、人々を幸せにするものだ」という理念を噛み締め、この10年の間に起こった災害や様々な社会問題で辛い思いをしている人たちにせめてもの潤いを提供し、今一度クラウンという芸術を世に提案するような、そんなショーを行いたいという思いで、クラウンカレッジ・ジャパン卒業生たちが再集結。さらに日本で活動するほかのクラウンたちにも呼びかけて、全国各地からクラウンたちがまさに大集合、一日限りの夢のような空間を作り出しました。

それが『クラウンばっかりフェス』なのです。